臨床家はレポートを書くのか?

2013年の大阪の理学療法士会のニュースの巻頭言に「レポートは臨床的思考を養うのに効率的か」というような内容の文章が載っています。

タイトルはうろ覚えなのですが、「学生に課しているレポート課題が臨床的な思考を伸ばすのに役に立っているのか」とか「臨床で働いている方でレポートを書いている方を見かけない」とか書かれており「レポートは臨床的思考を養うのに非効率的」という風に受け取れる書き方がなされている。
確かにレポートを書いている臨床家は少ないと思う。しかし、私は自分がレポートを書くことで成長できたと思っているので、この巻頭言には疑問を感じる。

臨床家が自分のやっている治療をカンファレンスなどで他者に伝えるとき、学生に説明するとき、後輩を指導するとき、自分の頭の中にある臨床的思考を「言葉」にして伝える必要が生じる。自分ひとりですべてを行うなら言葉にする必要はない。しかし、他者と連携して行うときには何らかの手段で他者に伝える必要がある。

そのためのトレーニングとしてレポートを書くという行為は臨床的思考を表現する手段として適していると思う。 レポートを書くという行為は、その内容を他者に理解してもらえるように書く必要がある。
私は学生に症例のレポート課題を課すとき『この患者さんのことを知らない同級生にこのレポートを読んでもらってください。レポートを読んだ同級生に「どんな患者さんだと思う?」と聞いて、同級生が答える患者像があなたの知っている患者さんと同じならいいレポートですよ』と指導している。 他者を意識して書くことが、自分の中にある臨床的思考を言葉に換えてくれるのである。むしろ、レポートを書くことを私は奨励したい。レポートをかけない方が臨床的思考を高めることはできないと思う。

私の臨床的思考は漠然としたイメージではなく、具体的な文章である。

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2018年同時改定や2025年問題、地域包括ケアシステム、子どものリハビリテーション、そんなテーマでさらに価値あるコラムを書いています。

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