このリハビリテーションコラムブログではおもに連携とか退院後の生活を知るとこが大事だと書いてきた。病院と地域の連携がスムースにできることが、地域包括ケアでは重要だし、病院のスタッフが病院の業務だけで仕事が完結したって考えることは、セラピストとしては3流だと思うからね。なんでそんな風に考えるようになったのかってことを書いてみる。
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回復期リハビリテーション病院
静かなリハ室は苦手です。ときどき病院のリハビリテーション室を見学することがありますが、なんか静かなんですよね。おとなしいっていうか活気がないっていうか・・・
元気に明るく楽しく笑いながらリハビリテーションしたいんです。
新人の時には「やまだ もうちょっと静かに・・・」って上司に注意されたりもしてたけどね。
昔はリハビリ病院って言い方してたね、今は回復期リハビリテーション病院っていうね。
正直に言うとね
ベルトコンベアみたいな病院が嫌でした
学ぶことはたくさんあったけどね。当時勤めていた病院の先輩や上司には感謝しています。そこでの経験は今の僕の土台を作ったと思う。
ベルトコンベヤーみたいになるのは制度の問題であって、病院の問題ではない。
でもねーホントに大事なのは、勉強できる環境とか、良いスタッフに恵まれるってことではないってことに気づいたんですよ。
セラピストとしての価値観が大きく変わったのは、担当の利用者さんが「亡くなってからわかる」ってことに老健に行ってからなんですよ。
老健で学んだこと
今の老健はプチ回復期リハ化してるけどね、介護保険できた当初は、リハビリテーションに点数とかなくてセラピストがセラピストらしさを発揮できる職場でした。
大好きでした、自分らしく楽しく笑いながらリハビリできる場所でした。今はちょっと窮屈そうですけどね。
老健で学んだんですよ。
入所で関わった利用者さんとか通所で関わった利用者さんが、体調不良とかで転院したり通所休んで入院したりする。
しばらくすると、亡くなられたって連絡が入ったり、家族さんがわざわざ施設を訪ねてきてくれたりする。
家族さんから
「やまださんと話すの楽しかったみたいですよ」
とか
「やまださんに会う日は楽しみだったんですよ」
って聞いたりする。もちろん逆に厳しい言葉をいただくこともあった。
だけどね、人生の終末に関わることができて、QOLに関わる職種として真摯に受け止めた。
そう、最後の最後にしかわからないこともあるってことを老健で学んだ。
担当していた方の最後のこと、最後の言葉、それを知った時に僕のセラピストとしての価値観というかセラピスト観っていうものは大きく変化したように思っている。
だけど
回復期リハビリテーション病棟では、患者さんの最後に関わった家族からのフィードバックが入ることがほとんどない。
それってセラピストとして残念なことだ。
自分のやって来たことの最終的な結末を知ることが出来ない。
制度上やむを得ないことだと思う。
だからこそ、病院―地域連携
このサイトではいつも言っている、
病院とか地域とかの区切りではなくて、セラピストとして成長することが大事
技術も大事だけど、地域の現場で学べることは病院では学べない。
僕が大きくセラピストとしての価値観を進化させたのは老健に異動になってからだ。
今どこの場所で働いていたって、異なる領域の方から学ぶことはできる。異なる領域のことを知れば今の職場での働き方はきっと変わる。
そんなことを知ってほしい。
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