あなたは利用者さんにとって何人目のセラピストですか?
急性期なら一番目、回復期なら2番目か3分番目といったところでしょうか?
回復期リハビリテーション病棟退院後の、その後
回復期病院にお勤めの理学療法士や作業療法士、言語聴覚士の方は、自分が担当した患者さんの退院後の様子について、どの程度把握されていますか?
自宅に戻ったのか転院したのか、くらいは覚えているかな。じゃあ、そのあとの転帰についてはどうでしょう?転院先から病院に戻ったのか?それとも自宅に帰れたのでしょうか?
3年後、5年後、10年後その患者さんはどうしているのかって?考えたことはありますか?
あなたが実施したリハビリテーションの結果、その患者さんのその後の人生がどのように変化したのかってことは気になりませんか?
病院に勤務していると、一人の患者さんが退院してもすぐに新規に入院する方を担当することになりますから、患者さんの転帰を把握することってほぼ不可能だと思います。
老健や訪問のセラピストは最後のセラピスト
病院に勤務している理学療法士や作業療法士、言語聴覚士とは異なり、老健や訪問でかかわっているセラピストの多くは、自分の事業所でかかわった利用者さんが、状態が悪化して利用中止になっても、その後施設に入所したのか、残念ながらお亡くなりになったのか、という情報を、家族さんやケアマネさん経由でよく情報が入ってきます。
わたしも、事業所の近所で葬儀があるとその名前を確認したりしています。やっぱり気になるからね。
私は、老健に勤務するようになってから、利用者さんの家族やケアマネさんから
お世話になりましたが、残念ながら亡くなりました
というお話を聞くことが増えてきて、その時に初めて
その利用者さんにとって私が最後にかかわったセラピストなんだ
ということに気づきました。病院で勤務していた時にはほとんど考えもしなかったことです。老健や訪問で働くようになって、このことを強く意識するようになりました。
亡くなられてから気づくこと
利用者さんの訃報を耳にするたびに考えさせられることは
- 人生の最後を楽しく過ごせるように、作業療法士としてかかわれたのかな
- 他にも何かできることはなかったかな?
というようなことがいつも頭をよぎります。
理学療法士や作業療法士、言語聴覚士は、対象者のQOLを変えることのできる職業です。だからこそ、人生の終盤に関わって楽しんでもらえてかな?貢献できたかな?と考えてしまいます。
最後かもしれないという心構え
亡くなられてから反省をするのですが、その反省を他の利用者さんに対して活かしていきたいと思っています。そのためには、
自分が最後のセラピストかもしれないんだ
だから、後回しにするのではなく今できることを精いっぱいやりたいと思います。
「最後かもしれない」という心構えが必要です。地域でこれから働こうと考えている方の参考になれば幸いです。
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